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第五部 技術者の攻防 《4》
100ccアップ 追撃のZ旗
日産サニーが発売される一か月前、一九六六年三月二十二日のことだった。
「エンジン、千から千百ccに変更するぞ」
トヨタ・カローラ開発主査・長谷川龍雄(86)が厳しい表情で言った。主査付きとして、その右腕だった佐々木紫郎(76)(現トヨタ自動車顧問)の日記に、その日のことが記されている。佐々木は過労もたたって一か月ほど入院し、病み明けの直後だった。
排気量を大きくするのは、エンジンの見直しだけにとどまらない。駆動系から足回りまで再設計や材質の見直しが必要になる。しかも、一号車の完成予定は半年後。そこは動かさないというのだ。
「常識では考えられない」。佐々木は出かかった言葉をのみ込むしかなかった。トップから下りてきた指示だったからだ。
変更を言い出したのはトヨタ自販社長の神谷正太郎だった。長谷川の要望を受け、カローラ開発の実現に動いてくれた男である。
神谷は月産二万台というかつてない生産態勢に見合うよう、販売網の整備を進めていた。サニーの登場は計算済みだった。しかし、発売開始の三か月も前から始まったそのキャンペーンには焦った。中身はどうあれ、見た目は同じ千ccの大衆車同士なのである。
「サニーを引き離すよう、カローラの差別化が欲しい」。神谷はトヨタ自工会長の石田退三に排気量の百ccアップを申し入れた。
排気量の変更は開発の現場に大きな負担となる。排気量に基づく自動車税も、サニーより三千円高くなる。高岡工場の建設など社運をかけたカローラである。すべてのリスクを計算し尽くして、排気量の拡大は決まった。
新エンジンの社内コードは、「27E」から「27E―Z」に変わった。
Zを付加したのは、「日露戦争で東郷平八郎がバルチック艦隊を撃ち破った時に掲げたZ旗に倣った」のだと佐々木は明かす。サニー撃破のために、スタッフの気持ちを一つにして、短期間にエンジン改良を成し遂げなければならない。まさに〈皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ〉の気分だった。
「Z」のゴム印を作り、「プラス百cc」関連の書類にはすべて赤いZ印を押した。あらゆる書類に優先して決裁された。
出来たばかりの名神高速道路が、試作エンジンの高速性能を確認するテストコースとなった。夜な夜な、試作エンジンを搭載したパブリカに長谷川や佐々木が乗り込んでは、明け方まで走り続けた。完成したのは、変更命令から九十日余り後の六月十四日だった。
六六年十月に発売されたカローラは、「プラス百の余裕」とうたったCMで、先行したサニーを追撃し、追い抜いていった。
長谷川はかつて、国産大衆車の普及を夢見た創業者の豊田喜一郎に「乗用車の工場を企画しろ」と言われたことがある。死後十四年、カローラで喜一郎の悲願をかなえたと思った。しかし、二十一世紀まで販売され続ける名車になるとは夢にも思わなかった。 (つづく)
(敬称略)
--- 読売新聞 2002年3月23日掲載 ---
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