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by dxb83macng
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第五部 技術者の攻防 《5》
流出 「カク秘」設計図
「千百ccだって」。一九六六年秋、日産自動車でサニー開発の現場主任をしていた葭森(よしもり)圭介(65)は耳を疑った。爆発的な売れ行きで、得意の絶頂にあったチームにとって、カローラの発表はまったくノーマークだった。トヨタの次期大衆車はパブリカのモデルチェンジと思い込んでいた。
急いで取り寄せ、隅々まで調べた。「最初、サニーを意識したのは、エンジンの『プラス百cc』だけだと思っていた」と葭森は言う。ところが、調べていた部下が驚いた顔をして駆け寄って来た。「見てください。全部プラス十ミリなんです」
シートから天井までの高さ、シートの幅、室内幅――。車内のあらゆる実測寸法が、サニーよりも約十ミリ長かった。
「こんちくしょう。どうしてこんなことができたんだ」。歯ぎしりしながら、葭森はふと、半年前のことを思い出した。
開発終了直後、関係部署に配布した車両設計図を回収したが、一枚だけ戻って来なかった。車両設計図には排気量以外、ほとんどすべてのデータが書き込まれている。日産では「マル秘」よりさらに機密度の高い「カク秘」の印が押されていた。「あれか」。情報は内部から漏れていた。
技術で負けたとは思わなかった。最小回転半径は、カローラの四・五五メートルに対しサニーは四メートルで小回りがきく。馬力あたりの重量も小さいから、加速もいい。信号待ちで、一番前に並んだ時、どちらが先に飛び出せるかを競う「交差点グランプリ」では、サニーが常に勝つと評判だった。
しかし、間もなく販売台数は逆転され、離されていった。「カローラの勢いがすごすぎた。多い月は、七、八千台差がついてしまった」――。新入社員のころからメーター設計にかかわった一丸芳郎(64)は証言する。営業からは毎日のように、「客をカローラに取られる。改良してくれ」と突き上げが来るようになった。
開発に着手した二代目は徹底的な「カローラ対抗車」を作ることになった。三台買って分解し、それぞれの部品を各部署にスケッチさせ研究させた。それだけでは全体のイメージがわかない。葭森たちはヨーロッパを回り、欧州の小型車や街に触れて、「豊かさ」を次期サニーのテーマに決めた。国内でも「昭和元禄」が流行語になっていた。
初代は、走りを追求し、車内設計は運転席優先で、後部座席は狭い作りだった。
二代目は、室内の寸法をカローラより少しずつ長くし、後部座席もゆったりめにした。シャープな外形も、カローラのようにふっくらさせ、ファミリーカーのイメージを強めた。排気量はカローラを上回る千二百ccである。
大阪万博の開かれた七〇年、二代目サニーは「ホラ!おとなりのクルマが小さく見える」という広告とともにデビューした。隣の車とは、もちろんカローラのことを指していた。
だが、一度ついた差は縮まることがなかった。年間販売台数では常に三―四万台負け続けた。葭森はこの後、トラック部門に移り、大衆車で雪辱する機会を失った。 (つづく)
(敬称略)
--- 読売新聞 2002年3月24日掲載 ---
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