グッチー情報
by dxb83macng
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「 i 」 革命、世界に衝撃 PC時代に自ら幕
アップルの前CEOのスティーブ・ジョブズ氏(右)とソフトバンクの孫正義社長=2008年6月、米サンフランシスコ(共同)
人間の7倍の速さで年をとる犬になぞらえ、日進月歩で技術革新が進むIT業界は、「ドッグイヤー」と呼ばれる。ジョブズ氏はそんな業界を誰よりも速く、全力で駆け抜けた。
「ガレージから世界一の企業へ」。1955年、サンフランシスコでシリア人政治学者と白人の大学院生の両親の下に生まれたが、ジョブズ家の養子として育った。
世界初とされるパソコンを開発後、76年に自宅の車庫を拠点としてアップルを創業し、立て続けのヒット作でパソコン業界のトップランナーになった。
経営対立から一時会社を追われたものの、12年後に復帰。ここから「芸術とテクノロジーを両立させた現代の天才」(ソフトバンクの孫正義社長)ぶりをまざまざと見せつける。
2001年には音楽配信サービス「iTunes(アイチューンズ)」で音楽ビジネスを変革。駆け出しのころに「宇宙に衝撃を与える」と豪語した通り、自ら大手レコード会社幹部や歌手を口説き落とした逸話は有名だ。
その後も市場調査に頼らず、自らの感性で新たな需要を開拓し、アイポッド、アイフォーン、アイパッドを連発した。10年間で3度もの「革命」を起こしたことが、創業35年で株式時価総額世界一の企業に押し上げるアメリカンドリームを実現させた。
アイフォーン、アイパッドは、今やパソコンに取って代わる存在になりつつある。ジョブズ氏の人生の歩調に合わせるように、自らが地平を切り開いた「パソコン時代」に自らで幕を下ろそうとしたことも、一つの「革命」といえる。
「ジョブズ氏の真骨頂は究極の目標を設定し、それに向かって一切妥協しないところ」
(ITアナリスト)。商談のスタイルは「電光石火」「単刀直入」がモットーだ。歯にきぬ着せぬ発言は物議を醸し、敵味方が多い一面もあった。
晩年は常に健康不安に悩まされ、ライバル企業だけでなく病魔とも闘い続けた。ソバを好む菜食主義者で禅など東洋文化に傾倒した。土曜日の朝には座禅を組み、瞑想(めいそう)するのが習慣だったという。
「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば必ずひとかどの人物になれる」。
17歳の時に出会った言葉を胸に走り続けたカリスマは、類いまれなIT製品と強烈な印象を世に残し、走り去った。
(田端素央、古川有希)
2011.10.6 21:15 産経新聞
スティーブ・ジョブズ氏の歩み
米アップル前最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏の歩みは次の通り。
1976年 ジョブズ氏らがアップルコンピュータ(現アップル)創業
80年 米ナスダック市場に上場
84年 パソコン「マッキントッシュ」を発売
85年 社内対立でジョブズ氏が退社
97年 ジョブズ氏が経営トップに復帰
2001年 携帯音楽プレーヤー「iPod」発売
03年 音楽配信サイトを開設
04年 ジョブズ氏、膵臓がん治療
07年 携帯電話「iPhone」発売
09年 ジョブズ氏、半年間休職。肝臓移植を受ける
10年 多機能端末「iPad」発売。株式の時価総額で
米マイクロソフトを抜く
11年 1月 ジョブズ氏、病気療養で休職
11年 8月 ジョブズ氏、CEO辞任
11年10月5日 ジョブズ氏、死去
FNN (ニューヨーク共同)
2011.10.6 10:25
スティーブ・ジョブズ氏とアップルの歩み
1976年には両親の自宅のガレージで同社初の製品「アップル1」を完成させる。
アップルの主力商品となる「マッキントッシュ」は1984年に発売され、売れ行きは好調だった。
しかし唯我独尊のジョブズ氏が同僚と衝突することも多く、86年には権力争いの末に、アップルを退社した。
その後経営不振に陥ったアップルに96年に復帰、翌年にCEOに就任。
2001年に発表したiPodを大ヒットさせてアップルの再建を果たし、その後10年で
iTunes(03年)、iPhone(07)、App Store(08年)、iPad(10年)などのヒット商品を次々に送り出して業界をあっと言わせた
CNN
2011.10.06 Thu posted at: 10:59 JST
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「世界よくした」米アップルがコメント発表
米電子機器大手アップルは5日、スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(CEO)の死去について「スティーブの聡明さや情熱、エネルギーは、われわれの生活を豊かにし、進歩させる数え切れないイノベーション(技術革新)の源泉だった。
世界はスティーブによって、計り知れないほどよくなった」とのコメントを発表した。
(共同)
2011.10.6 09:56
アップルのクックCEO、「ジョブズ氏の精神は永遠に」
米国のアップルストアの前に花が置かれた (C)WCVB
米アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は5日、創業者スティーブ・ジョブズ氏の訃報を電子メールで社員に告げ、「アップルはビジョナリーそして想像力豊かな天才を失い、世界はとてつもなく偉大な人物を失った」とその死を悼んだ。
クックCEOはメールの中で、「スティーブを知り、共に働く幸運に恵まれた私たちは、愛する友人を失い、鼓舞してくれる助言者を失った。
スティーブは遺された会社を創業したにとどまらず、その精神は今後も永遠にアップルの礎であり続ける」と述べている。
アップルのウェブサイトでは、「rememberingsteve@apple.com」というメールアドレスを通じてジョブズ氏の思い出や追悼の気持ちを共有して欲しいと呼び掛けている。
ジョブズ氏の遺族も同社を通じて談話を発表し、同氏は「家族に囲まれて安らかに死去した」と明らかにした。私生活では家族を大切にしていたという同氏の素顔も明かし、「闘病生活の晩年に励まし、祈ってくれたたくさんの人たちに感謝する」としている。
ニューヨークの5番街にあるアップルストア前の壁には5日夜、アップルのウェブサイトに掲載されたジョブズ氏の遺影のコピーが張られ、
「We Love You(愛しています)」「RIP(安らかに)」との言葉が添えられた。
カリフォルニア州クパチーノのアップルストア前にも人々が花やろうそくを供え、バグパイプの演奏が流れる中、涙をぬぐう人の姿もあった。
CNN JAPAN
2011.10.06 Thu posted at: 12:59 JST
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アップル前CEOのスティーブ・ジョブズさん死去 56歳 オバマ大統領も声明発表
「アップル」を世界的企業に押し上げた前CEO(最高経営責任者)、スティーブ・ジョブズさんが5日、死去した。56歳だった。
ジョブズさんは、1976年にアップル社を共同で創業し、2000年にCEOに就任。以降は、
スマートフォン「iPhone」などのヒットで、アップルを世界最大のIT企業に導いた。
「カリスマ経営者」の訃報に、アメリカのオバマ大統領は、「彼はアメリカの偉大な革新者だった」などと声明を発表した。
ソーシャルネットワークサービス「フェイスブック」の創業者、マーク・ザッカーバーグさんは、「築き上げるもので世界を変えられることを示してくれた。ありがとう」とコメントを寄せているほか、
シュワルツェネッガー前カリフォルニア州知事は、短文投稿サイト「ツイッター」に、
「スティーブは世界を変えた。ありがとう」と書き込んでいる。
アップルのファンは、「気が動転しています。家族を亡くしたような気持ちです」と話した。
ジョブズさんは、これまで膵臓(すいぞう)がんを患うなどし、2011年8月、病気療養を理由にCEOを辞任し、「iPhone」の新機種「iPhone 4S」の発表後、亡くなったという。
フジテレビ系(FNN)
10月6日(木)21時27分配信
スティーブ・ジョブズさん死去 日本の政財界からもその死を惜しむ声
アップルのスティーブ・ジョブズさんの死去に、日本の政財界からもその死を惜しむ声が上がっている。
藤村官房長官は「大変な天才だったと思います。天才を亡くしたという意味で残念に思います」と述べた。
アップル元副社長、日本マクドナルド社長の原田泳幸氏は、「世の中の常識とか経験をあえて捨てて考える力。そこから新しい発想が生まれるという。そういった姿勢、エネルギーは大変なものだった」と語った。
ソフトバンクの孫 正義社長は、「昔で言えば、レオナルド・ダビンチが当時の芸術と技術の最先端をリードしたような、そういう人物ではないか」、「偉大な功績は、ずっと永遠に人々によって語り伝えられると思う」と話した。
フジテレビ系(FNN)
10月6日(木)21時27分配信
スティーブ・ジョブズさん死去 孫 正義社長「永遠に語り伝えられるのでは」
「iPod」や「iPhone」などを手がけ、アップル社を世界一の企業に押し上げたあと、5日に亡くなったスティーブ・ジョブズさんの死を悼む声が寄せられている。
深い親交のあったソフトバンクの孫 正義社長は、「昔の時代でいえば、レオナルド・ダビンチ。
そういう人物じゃないかなというふうに思いますね。本当の天才ですね。ずっとずっと、永遠に人々によって語り伝えられるんじゃないかな」と話した。
フジテレビ系(FNN)
10月6日(木)20時0分配信
「次の夢はアップルテレビだったはず」 元アスキー社長の西和彦氏
スティーブ・ジョブズさんとは、(アップルが開発した最初のパソコン)「アップルI(ワン)」が出た後の1977年と、一時アップルを追い出されてネクストコンピューターを設立した後に会い、話をした。
彼は、友達として話をしようという雰囲気ではなく、(当時マイクロソフト社長で西氏と盟友だった)ビル・ゲイツと縁を切って自分の部下にならないか、という感じで接してきた。
私も若かったので、当時は、「なんちゅうことを言うやつだ、こいつは」と驚いたが、相手にどう思われようが、思ったことをはっきり言う人だった。
ジョブズさんの仕事の最大の功績は、音楽CDプレーヤーに代わり、小型の音楽プレーヤーを一挙に普及させたことだと思う。携帯音楽プレーヤー、アイポッドは、何といってもデジタル社会に大きな影響を及ぼした。
アイポッドは、ソニーとフィリップスが発明したCDをやっつけてしまった。ジョブズさんの次の夢は、「アップルテレビ」でDVDプレーヤーやブルーレイに取って代わるつもりだったはずだ。
ジョブズさんは今回、アイフォーンで使えるようになった「アイクラウド」ともども、事業として完成させたかったことだろう。さぞ心残りだったはずだ。
肝臓がんと聞いているが、病気に倒れるのがあと10年遅かったら、治療できたのではないかと思う。(談)
2011.10.6 21:22
産經新聞
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アップル、カリスマ失い最大の試練
前CEOのスティーブ・ジョブズ氏の死去を伝える同社のウェブサイトが映し出された
「iPhone」(ロイター)
IT王国を築いたカリスマにして会社の文字通りの支柱であるジョブズ氏を失い、米アップルは最大の試練のときを迎えた。業界の激しい潮流と再編にもまれ、ライバル企業との覇権争いが激化するなか、「ポスト・ジョブズ」に少なからぬ不安を抱えながら、アップルの闘いが始まる。
カリスマの死去が明らかになったのは、くしくもアップルがスマートフォン(高機能携帯電話)の新機種「iPhone(アイフォーン)4S」を発表した翌日。それは、ジョブズ氏が最期のときまでアップルの事実上のトップに君臨し続けたことの証左にほかならない。
この世を去ったジョブズ氏の胸に去来したのは安堵(あんど)かそれとも不安か。おそらく後者とみる向きは少なくない。4Sの発表直後にアップルの株価は一時急落した。大幅な機能刷新を期待した市場の失望からだが、批判の矛先はジョブズ氏の後継者のティム・クックCEOにも向けられた。
CEOとしての「デビュー戦」にかかわらず、型どおりの製品説明に終始し、具体的な戦略を語らないクック氏に、市場は「新生アップルの羅針盤を聞きたかったのに、肩すかしを食らった」(アナリスト)。
巧みな話術で消費者を魅了するジョブズ氏の訴求力が数々のヒットの要因になってきただけに、「クック氏でアップルはこの先大丈夫か」との不安が渦巻く。
ライバルとのつばぜり合いも激しさを増す。最大の敵はインターネット検索最大手グーグル。4月に30代のラリー・ペイジ氏がCEOに就き、世代交代で先行。
携帯端末会社も飲み込み、アップル同様に端末開発・製造も手がける「垂直統合型事業」に踏み出すグーグルは手ごわい存在だ。
アップルの長年のライバルの米ソフトウエア最大手マイクロソフト(MS)、そのMSと手を組む米交流サイト(SNS)最大手フェイスブックといった新興勢力など、IT業界の“アップル包囲網”も狭まる。
消費者がIT企業に求めるニーズが激変するなか、アップルは再編戦略や多角化で遅れも指摘される。
アップルはジョブズ氏の訃報にあたり、「スティーブの聡明(そうめい)さや情熱、エネルギーは、われわれの生活を豊かにし、進歩させる数え切れないイノベーション(技術革新)の源泉だった。世界はスティーブによって、計り知れないほどよくなった」とのコメントを発表した。
市場では“遺作”となった4Sが「for Steve(スティーブのために)」の意味だったのはともささやかれているが、残されたアップル関係者に感傷に浸っている時間は少ない。
【ワシントン=柿内公輔】
2011.10.6 14:14
産經新聞
ITの革命児、波乱の道のり 一時は会社追われることも
56歳の若さで死去した米電子機器大手アップルの創業者で現会長、スティーブ・ジョブズ氏。一時代を築いた「ITの革命児」の道のりは、決して平坦(へいたん)ではなかった。
米サンフランシスコに生まれ、すぐ養子に出される。大学を中退後、1976年に友人と
アップルを創業。パーソナルコンピューター「マッキントッシュ」がヒットし、一躍若手起業家の仲間入りを果たした。
しかし、経営対立から会社を追われる。再びコンピューター会社を立ち上げるが成功しなかった。この会社をアップルが買収、97年に古巣に戻った。
経営トップに立つと製品の種類を絞り込み、「21世紀のウォークマン」とする「iPod(アイポッド)」を発売。さらに高機能携帯電話「iPhone(アイフォーン)」、タブレット型情報端末「iPad(アイパッド)」とヒット商品を連発。
直感的な操作と美しいデザインにこだわり、若年層を中心に爆発的な人気を博した。今年3月には、病気療養中ながら新製品iPad2の発表会に登場。成功の秘密について「技術が教養や人間性と結びついてこそ、人の心を動かすことができる」と強調していた。
また、IT機器とコンテンツ供給サービス一体の「統合モデルは大きな強み」と話し、ネット検索最大手グーグルなどとのデジタル時代の覇権争いを見据えていたが、志半ばでの死去となった。
2011.10.6 12:35
産経新聞
ソフトバンク、経営に波紋 アップルとの蜜月節目
米アップルの前最高経営責任者(CEO)、スティーブ・ジョブズ氏が5日に死去した衝撃は、同社のスマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」を扱ってきたソフトバンクにも広がった。
日本でのアイフォーンの独占販売が崩れて両社の蜜月関係が節目を迎えた時期に、日米のカリスマ経営者が築いた絆も失うという事態は、ソフトバンクの経営に微妙な影を落としそうだ。
「芸術とテクノロジーを両立させた現代の天才だった。数百年後の人々は彼とレオナルド・ダビンチを並び称すだろう」
自ら米国に赴き、体当たりでジョブズ氏との信頼関係を築き上げたソフトバンクの孫正義社長は6日、その死を惜しんだ。
孫社長は東京都内で報道陣の取材にも応じ、「本当に悲しい。彼の場合は製品というより『作品』。常に2世代先の製品を開発し、仕込んでいた。彼が陣頭指揮した作品はこれからまだ出てくる」と、自宅を行き来する仲だったジョブズ氏との15年来の交流を振り返った。
7年前の2004年。携帯電話事業への参入を既に心に決めていた孫社長は米国に飛んだ。当時、携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」が世界で爆発的に売れていた。
孫社長はジョブズ氏の自宅で対面すると「アイポッドのような新しい携帯電話を、あなたなら作れる」と単刀直入に切り出した。
ジョブズ氏はにやりと笑い、こう答えたという。
「いま考えている。完成したらお前と一緒にやろう」
まさにこれがアイフォーンだった。この面談をきっかけにソフトバンクはアイフォーンの販売権を手にすることになる。
その後の快進撃は目覚ましい。08年にアイフォーンを発売すると、他社を猛追。新規契約から解約を差し引いた携帯電話の純増数は、今年8月まで17カ月連続でトップに立つ。累計契約数でも2位のKDDI(au)を射程圏内にとらえた。
孫社長は、アップルのCEOを引き継いだティム・クック氏と米国で4日に会ったことも明かした。クック氏は「(ジョブズ氏は)いつまでたってもオレのボス。会社に来る機会は減ったけど、製品の細部まで指示して困るよ」と、冗談交じりで話していたという。
ソフトバンクは14日に始まるアイフォーンの新モデル「4S」の販売で、KDDIと競合する。経営への影響について「今は亡くなったことの悲しみの方が大きい」と話す孫社長に、異才の死を嘆き、歩みを止める時間は限られている。(森川潤)
フジサンケイ ビジネスアイ
10月7日(金)8時15分配信
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